社会福祉法人 光風会

光風会日記 | 社会福祉法人 光風会

葛藤

今夏、甲府のハローワークから問い合わせがあり、刑務所出所者の就職についての相談、があり、甲府刑務所を訪問することになった。
8月24日、保土ヶ谷から横須賀線、横浜線を利用し八王子まで、特急あずさで甲府まで、指定席・自由席とも満員で立ったまま甲府へ。約束の時間まで、時間調整のため、甲府市の遊亀公園付属動物園や甲府城址などをめぐり時間をつぶす。
甲府市堀之内の甲府刑務所までタクシー利用(甲府駅から20分程度)、門で訪問の目的を告げ、就労支援の担当者に案内される。会議室に通され看守部長、看守長、就労支援の社会福祉士、就労支援スタッフの方と懇談を行う。
はじめに甲府刑務所での就労支援の概要、法務省矯正局の矯正就労支援情報センター「コレワーク」の説明、刑務所出所者等を雇用するための就労支援の状況を聞く。
犯罪や非行をした人たち(刑務所出所者等)の再犯や再非行に至らないためには仕事に就き、職場に定着して、責任ある社会生活を送ることが重要という観点に立ち支援する。
その後、甲府刑務所の見学、(収容人員:受刑者500名、未決100名、成人男子受刑者)
独居房、雑居房、風呂場、職業訓練の様子(洗濯場、葬儀用花輪作成、建設躯体、足場、鉄筋型枠、溶接科、ビジネススキル科、水耕栽培、環境整備等)運動の様子などを見学。
広大な敷地の中、多くの受刑者が整然とした中で、それぞれの持ち場で黙々と作業に従事、高齢の受刑者も簡単な作業を分担して行っている。また、水耕栽培は円形のエアードームの中で行われており、放射状にサンチェ(サラダ菜)が育っていた。
またグランドでは一日30分の屋外での運動が義務づけられており、この日は、ランニングが行われていた。調理からクリーニングまですべてが完結しており驚くばかりであった。
刑務所の出所者の就労支援に対して、前科者ということで、門戸を閉ざしていいものか。
罪を悔い改め、人の役に立ちたいと思い、介護の勉強をし、研修を受けた人たちがいる、「罪を憎んで人を憎まず」というとはできないか自問自答する。
津久井やまゆり園の事件があったばかりで、採用に対しては敏感になっており、法人の職員採用に関しては慎重であるべきという空気が漂っている中、採用してもいいものか難しい問題がのしかかっている。知らず知らずのうちに差別意識があるのではないか。

国際協力団体知っていますか?

 私は、国際協力団体の、地球の友と歩む会/LIFEの活動に参加しています。
 だれもが幸せを感じられる「平和な住みよい社会の創造」と豊かで調和のとれた「自然環境を育む」ことをめざし、継続した責任ある活動を行っている、民間の国際協力団体です(NGO)。
 なぜこのような活動を行っているのかというと、中東イラクがクウェートに侵攻した中東での戦争がありましたが、クウェート湾が油まみれになるという環境被害があり、油回収のボランティアに参加しようとしましたが、家族の猛反対にあい、断念したことがありました。気持ちの中でもやもやとした中で、当時のアジア協会(LIFEの前身)でスンバ島(インドネシア・オーストラリアの少し上)での植林活動があり、参加したのが始まりです。インドネシアでの植林活動や有機農法での野菜栽培指導、インドでの井戸掘り、国内での農業体験などが主な活動です。
 私は1992年(平成4年)にインドネシアスンバ島にスタデイツアーとして植林活動に参加し、ヤシの木や香木のビャクダン等を植林してきました。スンバ織も世界的に有名な織布です。活動を始めて今年で25年が経過しました。そんな状況下、知人に勧められ、今年から監事に就任しました。事務所が東京の飯田橋にあります。
 理事の横山さんは1992年のスンバ島での植林活動に一緒に参加しました。その後もスンバ島植林仲間として、東京で会合を重ねています。
 仕事を離れ、ボランティアとして活動していると、等身大の自分になれそうな気がします。異国の地で汗水流し、その地の文化に親しむことも大きな意味があるかもしれません。
福祉を生業としていると、人のつながりがとても大切になります。いろいろな人に出会い自分にはないものを見つけたときは大きな喜びを感じます。皆さんも参加してみてはどうですか。

忖度(そんたく)

 光風会では4月3日(月)入社式と辞令式が行われました。新卒6名の方が入社、3人の職員の異動辞令を行いました。入社された方、おめでとうございます。
ここ数年、福祉現場での人材確保が難しくなってきたと言われる中で、こうして、光風会に入って頂き感謝しています。
入社式のあいさつですが、気の利いた話でもと思いましたが、最近のニュースの中から、阿倍首相周辺で、国有地跡地の買い取りの件で、忖度(そんたく)という言葉が繰り返し使われています。「相手の心情を推し量り先回りして行動に移す」という意味でつかわれることが多いと思います。
良い解釈と悪い解釈があると思うのです。たとえで使うことがはばかれますが、悪い意味では、昨年の相模原市の障害者施設の痛ましい事件は忘れることが出来ません。「生きている価値のない障害者はいらない」という一部の人たちの気持ちを忖度して行ったかもしれません。 
良い忖度というのは、私たちの仕事です。言葉の話せない、意思をつたえられない人たちの気持ちを忖度して行動することです(意思決定支援)。
 社会のルールやモラルなど社会常識を考えて、この人たちにとって一番いいことをするというのが私たちの仕事ではないでしょうか。いい忖度を行うのは素晴らしいことです。
 私たちの仕事は障害者の衣食住の営みを支える仕事です。生活そのものを大事にし見守ることです。また、支援だけしていればいいのでしょうか、自分の生活を振り返るとわかりますが、自分勝手な行動では、周りの信頼を失いかねません。自分の周りの人に気配り、目配りをしてください。私たちの仕事は、多くの職種の人たちの集まりですから、チームワークが必要になります。
最後に、仕事とプライベートのバランスを考えた仕事をするということです。仕事をする上でのワークライフバランスです。メリハリのある仕事を期待します。
皆さん一緒にがんばりましょう。  

焼け跡に手をさしのべて

%e7%84%bc%e3%81%91%e8%b7%a1%e3%81%ab%e6%89%8b%e3%82%92%e3%81%95%e3%81%97%e3%81%ae%e3%81%b9%e3%81%a6平成28年10月22日から平成29年1月15日まで横浜市都市発展記念館で行われている企画展のタイトルです。副題は「戦後復興と救済の軌跡」、昭和20年8月の敗戦後、横浜の復興への軌跡と戦争被害者に対して救済の手を差しのべた横浜の人々の取り組みについて紹介した企画展です。
昨年、戦後横浜の社会福祉事業について、横浜市都市発展記念館の調査研究員の西村健氏より連絡を受け、光風会のホームページに戦災孤児を保護したという記載がありましたのでお話を聞かせてほしいとのことでした。
ご存知のように、社会福祉法人光風会の前身は、横浜市神奈川区にある財団法人紫雲会「横浜病院」内にあった、「光風園」から始まったものです。初代理事長の須藤英雄氏が戦災孤児を引き取り病院内で保護したもので、昭和28年に児童福祉法による精神薄弱児施設として神奈川県では戦後初めて認可された民間施設です。このことは、平成28年3月31日に発行された、「横浜都市発展記念館紀要 」第12号に詳しく掲載していただきました。
その後、今回の企画展でも紹介したいとのことで、光風会が所蔵する写真や看板を貸し出すことになったものです。
私は、10月30日(日)に会場である、横浜市都市発展記念館に行ってきました。場所は東急・東横・みなとみらい線の「日本大通り」駅で、2階が企画展の会場入口です。
企画展の最初に「光風園」の看板が展示(滋賀県近江学園の糸賀一雄氏の直筆看板との説明書きがある。)されており、とてもうれしく感じました。戦争孤児を保護した平野恒の活動や高風子供園の紹介、昭和41年に放映されたTBSドラマ『木下恵介劇場 記念樹』
は同園をモデルにしたものといわれており、挿入歌の「さくらのなえがおおきくそだつころぼくらはみんなおとなになるんだ・・・」口ずさんだ覚えがあります。戦後の食糧事情に貢献したララ物資などの説明が展示紹介されています。
引揚者の受入れを行った「金沢郷」は、神奈川県知的障害施設団体連合会、協会創立50周年記念号「のびろ」にも紹介されており、「神奈川の福祉の原点は金沢郷にあり」といわれています。戦後の横浜でいろいろな方が孤児たちを支えています。皆さんも是非見に行っていただきたいと思います。

避難準備情報

 平成28年8月30日、台風10号から変わった温帯低気圧の影響で北海道や東北では記録的な大雨になった。岩手県岩泉町のグループホームでは9人の高齢者が川の氾濫による浸水で亡くなった。また北海道では3人方が行方不明なられた。美しいパッチワーク状の畑で知られる富良野地方でも浸水被害があり、多くの農作物が多大な被害をこうむった。
 グループホームの高齢者が亡くなった岩泉では、「大雨洪水警報」が発令され、事前に「避難準備情報」が出されたが、避難していなかったことが今回の災害で指摘されました。「避難準備情報」とは、災害弱者と呼ばれる高齢者や障害者など一人で避難できない「災害時要援護者」は、まだ一般の人が避難しない「避難準備情報」の段階で避難を始めることになっているためなぜ避難しなかったのか問題視されたものです。
 ここ横浜でも、9月20日、台風の影響で大雨警報が発令され、保土ケ谷区でも急傾斜地などがけ崩れのおそれのある地域に対して17時、「避難準備情報」が発令された。
該当地域では、保土ケ谷区役所の広報車が「避難準備情報」と「避難所」が開設されたことを周知していた。
光風会でも「蒼風」と「のばらホーム」の二つのグループホームが危険区域にあったため、避難するか検討され、高齢者のいる「蒼風」の利用者を避難所である「岩崎小学校」に避難しようと決定した。
私も我が家が急傾斜地にあり、今後のことも考え、17時45分頃、妻と二人で岩崎小学校に避難したが、避難所等のお知らせもなく体育館では浜っこクラブの子供たちが走り回っていた、浜っこの支援者に避難所の話をしたが「わかりません」ということで学校の職員室に連絡してくれた。保土ヶ谷区役所の担当者が2名きてくださった。
そこで光風会のものですが、避難準備情報が出されたので、避難してもいいですか確かめる。岩手のことをお話しし、グループホームの利用者の皆さんが避難してきますとお伝えした。 蒼風の利用者4人と担当部長とグループホーム世話人が18時40分岩崎小学校に避難した。
体育館ではフットサルグループが活動しており、落ち着けない状況、結局フットサルの活動に邪魔なので舞台に上がる、毛布等も用意されていない状況で、とても夜間過ごせないので20時15分のばら園に移動した。(のばら園は保土ケ谷区福祉避難所指定)
22時55分には「避難準備情報」解除、「避難所」も閉鎖となった。早めに対応したことで移動もスムースにできた。翌朝、6時前には蒼風に戻り、今回の避難を終了した。
今回、避難を実際に体験することで、避難所の実情など多くの学びがあったので今後の災害に役立てていこうと思った

陸王?

書店で陸王のタイトルの書籍が平積みされている。オートバイの陸王のことかと思ったが(戦前・戦後を通じて日本のメーカーが作った和製ハーレーダヴィッドソン)、下町ロケットでおなじみ池井戸潤の小説である。創業百年の足袋の老舗「こはぜ屋」がランニングシューズの開発に乗り出すという話である。

陸王とは力王足袋をもじった名前なのか、興味がわいたので購入した。地下足袋が好きでよくはいているということと、高校時代、陸上競技部に所属し、長距離をやっていたからだ。高校生の頃、マラソンシューズといえば鬼塚タイガーの靴が流行していて、鬼塚の靴は憧れであり、履けば早くなるような気がしたからだ。鬼塚のマラップ(マジックランナー)がほしかった。その頃の値段で3000円程度、学校の授業料が月1600円、映画が350円の時代。グリーンの靴底で足回りに小さな穴が開いており、走るたびに空気が出たり入ったりするもので走っているときに足回りの熱を除去してくれると評判だった。

小説の中では、「こはぜ屋」が新開発のための資金を銀行に融資をお願いしたり、製造したシューズをランナーに無償提供していく話、老舗ブランドのシューズメーカーとの開発競争等その展開で、最後はどんでん返しで「こはぜ屋」が一矢報いる話である。陸王は久々に読書の楽しさを感じさせた本だった。

リオデジャネイロオリンピックでは、陸上競技のシューズとウェアーをアシックスが、ミズノが卓球やバドミントンのラケットやシューズを提供したとテレビで紹介されていた。メダルを獲得した福原選手や奥原希望選手の活躍はスポーツ関連ブランドの絶好のPRになったのではないか。

来たれ光風会へ

日本知的障害者福祉協会の「さぽーと」5月号が送られてきた、今月の特集は、「福祉現場の人材確保と育成」である。

昨年も同じような内容で特集を組まれていたが、今回の巻頭言に協会理事の蓬莱和裕理事が書かれているように、昨年よりも人材確保がより困難になっていると感じる。

5月号では前リクルートで人材確保・育成の講演を全国的に展開されていた、らしさ研究所の門野友彦氏にインタビューした内容が紹介されている。施設長がフェアー等に出かけるより若い新人職員を中心にプロジェクトを組んだ方がいいということだった。事業内容を事細かに述べるより、職員にスポットをあて、職員がいかに生き生きと仕事をしているか、この仕事について自分の将来像を予見できるかというような内容だった。福祉現場で働く人はもっと自信を持って発信していくべきとのこと。是非読んでいただきたい。

 

光風会ではその都度欠員補充をしていましたが、3年前から定期採用に変更し、毎年10人の採用を目標にしてきました。幸いに予定人員に近い、昨年14人、今年9人採用しました。福祉系大学、短大、専門学校はもとより、異業種からの転職者もあります。

光風会に学生さんが来ていただける理由を探すと、やはり、児童施設の存在は欠かせないのではないでしょうか。福祉型児童入所施設「すみれ園」の存在が大きいです。

もちろん法人採用ですので児童に行ける可能性は50%です。「のばら園」か「すみれ園」のどちらかになります。数年まてば法人異動がありますので児童も経験できます。

光風会では施設実習にも力を入れており、すみれ園、のばら園それぞれ15校程度、

のばら園で40人、すみれ園で20人の学生さんを受け入れています。地道な努力を続け、この職場で働きたいという人を増やしていきたいと思っている。

光風会の就職説明会にぜひ参加してほしい。

 

たけのこ

今年も「たけのこ」の季節が到来しました。

暖冬の影響か横浜でも例年より早く、「たけのこ」が顔を出しました。光風会の竹林でも4月1日に初収穫の後4月5日ごろから次々と収穫が始まりました。

孟宗竹の「たけのこ」に関しては小学生のころからの楽しみで、思い出深いものです。鹿児島の山村で育つ中で孟宗竹の「たけのこ」は3月から4月にかけて収穫が始まります、風物詩として富山の薬売りさんが村に来て家庭薬の売薬を始まる頃で、村に投宿して家々を回る中で、富山の越中さんが「たけのこ」を掘るのを手伝っていた記憶があります。そのころの小学生のはやり歌は(えっちゅうとやまのまるきんたんはなくそまるめてくろじんたん)などとはやしていました。

爺さんが地下足袋で竹林を歩き地中のわずかな突起を感じながら探しあて、掘っていくさまは職人技で「たけのこ」掘りの醍醐味を感じることができました。鹿児島では「たけのこ」は「煮しめ」料理に使われ、お花見の焼酎の肴としてふるまわれていました。子供心には美味しいとは感じませんでした。
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孟宗竹と違い小ぶりの真竹の「たけのこ」は子供たちの絶好の小遣い稼ぎの手段でほうぼうの山に生えている真竹の「たけのこ」狩りと「わらび」「ぜんまい」「お茶の葉」を採るのは山村に住む子どもたちのひそかな楽しみでもありました。

光風会に就職してから「たけのこ掘り」はひそかな楽しみになり、旬の味として多くの皆さんが食べていただければと思っています。

朝採りの「たけのこ」は光風会事務所前で販売しています、値段は300円前後です。4月いっぱいは販売する予定です。無い時は悪しからず。

 

爆音轟かせ

最近、自分の好きなことを何にもしていないじゃないか?つまらない人生を送っているようで、もうちょっと楽しめるものがあってもいいかなと思い、バイクをもう一度引っ張り出してみた。
1970年、高校1年生の時に自動2輪の免許を取り、中古のCL90のバイクを購入し、通学やバイトで使ったのがバイク人生に始まりである。
高校を卒業し横須賀市の造船所に就職したときもホンダのダックスやホンダSL350を購入した。20歳の時にSL350をお供に横須賀から友人と2人で東名、名神、阪神高速経由で四国一周のツーリングをおこなった。淡路島から四国に入り室戸岬、足摺岬、佐田岬などを1週間かけて巡った。帰りがけの東名高速で友人のバイクのエンジンにひびが入りオイルもれしながらもなんとか帰り着いた思い出がある。結婚後もバイクは一度も手放すことはなく、ホンダGL500、ヤマハのSL250、スズキVS700等乗り継いだ、子供の保育園もバイクでおんぶして送迎したほどだ。
1989年念願のハーレーFXRを新車で購入した。その年は北陸一周を敢行、東名、名神高速から岐阜高山、安房峠、恵那、福井県の三方原発などを巡った、雑誌のゴーグルに投稿した覚えがある。
また、当直明けを利用して西湘バイパス経由で国府津サービスエリアに立ち寄り、箱根ターンパイクから頂上の大観山レストハウスでコーヒーを飲みそのまま帰ってくるのを何度か繰り返した。職員仲間で一緒にツーリングに行くことは難しく単独行動が多かった。
年を重ねるにつれてバイクに乗る機会も段々となくなってきてしまい、ここ数年は乗らずにほこりをかぶっていた。
今年に入って気持ちを奮い立たせて、オーバーホールして車検を取った。還暦過ぎの親父が2月の寒空に爆音をとどろかせて走っている姿を見ましたら笑ってバイク写真やってください。

*ホンダSL350はホンダの軽乗用車N360と同じエンジンを積む(空冷式)
*ホンダGL500は国産では珍しい横置きVツインエンジン
*スズキVS700はイントルーダ―と呼ばれ、水冷式アメリカンバイク

 

 

 

 

餅つき大会に想う

 平成28年1月17日(日)光風会の「餅つき大会」が開催された。のばら園・すみれ園の合同である。私が光風会に就職して大々的にかかわっている行事である。餅つきは杵で餅をつけばよいという単純なものでなく、準備が重要な催事である。前日準備、当日準備などきちんとやらなければ成功とはいえない。
 手順はその時々の行事委員に事細かく指示を出して明文化しているが、餅つきの技術はうまく伝承できない。20年近く最前線で行事に没頭している自分がいる。
 数日前から、臼を洗い、水に浸しておく、杵も同様である。前日にもち米を研ぎ、水に浸す、翌朝引き揚げ水切りを行う、このもち米を浸す時間が重要である。水からあげて置く時間、蒸し器でどの程度蒸すのか、どの程度の柔らかさが必要かは永年の堪である。
 いよいよ餅つきであるが、最初のつきはじめが肝心で、二人のうち手で臼の中のもち米をつぶしていく、これが餅の良しあしを決めるのでこの時点で餅になっていることが重要である。その後、手合わせの人とつき手のパフォーマンスの時間である。つき手の杵さばきを手合わせの人がうまくコントロールできればよいとされる。餅の柔らかさは手合わせの水加減で決まる。その場で食べるのか等状況に合わせて微妙な水加減をしていく。
 私は鹿児島県の大隅半島の曽於市財部の出で小さなころから餅つきをしてきました。
柴立というところで昔から酒屋を営み、むらの中では人が集まる、年末28日になると、へっつい(かまど)で大きな羽釜にお湯を沸かし丸い木製の蒸し器を3段くらい重ねてもち米を蒸していく、次々に餅をついいていく、それはそれは大きな催事でした。
 高校を卒業し18歳で横須賀の造船会社に就職、久里浜の清和寮という独身寮に入ったが、そこでも餅つきがあり率先して餅つきを行った。縁あって横浜の恵和学園に就職した時から餅つきに参加した。恵和の餅つきは1月1日、朝4時ころから始まり、創設者の前田直蔵園長が山形の餅つき唄を歌いながら職員が餅つきをするというパターンが長いこと続いた。1月1日の学園の賀詞交換で利用者職員で餅をほおばる、園長から全員お年玉をもらい、初詣でやファミレスに出向き楽しんだ。もちろん、バザー時の餅つきは客寄せの大きなパフォーマンスで大いに盛りあがった。
 私生活でもこどもの保育園の餅つき大会で餅つき指導した覚えがある。 最近では光風会の所属する元町自治会の餅つき大会に出向き手伝った。
 私にとって、餅つきは自分の成育歴と大きな関係があり、自分の特技であり、文化の継承ではないかと思っている。

全国大会(高知)に参加して

全国大会(高知)に参加して

平成27年10月14日~16日の日本知的障害福祉職員全国大会に参加した。初日の鼎談で中央大学法学部教授の宮本太郎氏の「優生学的な未来を回避する」という話、未来は近づいている。なぜ障害者は生まれるか?いてあたり前だからである。認められる居場所を多く作る。社会保障給付は税金を国民に返すことであり払ったのは国民のはず。北海道療育園の理事長岡田喜篤先生は宮本先生の話は身に染みてよくわかる。自分だけの問題ではない、多様性を持って当たり前、井上げんじ先生が言われたことですが、みんながベートーベンみたいな人だったらおかしいでしょう。人は皆違うからベートーベンは天才音楽家であったはず、人間の歴史は10万年しか経過していない、10億年経過したらどうなっているのか。私は、「優しさを知的障害の人からもらった、生きてよかったと思うのは知的障害の人たちのおかげである」という言葉はとても感慨深かった。

2日目は「土佐の六策」~「育」「生」「暮」「働」「老」「輝」の分科会である。第2分科会に出席。「生」~いきいきと生きるために~北九州市立大学文学部の小賀 久氏

当たり前になりがちな日々の支援や職場風土を見直しつつ、福祉従事者、ひとりの人として様々な視点で「生きる」意味を見つめる。生きるための条件支援現場では原点回帰をすすめ、生き生きと生きるために、生活の三要素である「衣」「食」「住」とさらに三つの「医」「職」「自由」を加えた6要素を大切にした支援を実行していくとの話であった。

衣食住に加えた三要素は初めて耳にしてなるほどと思った。

3日目は延光寺長老の増田全英和尚の遍路の起源、布施の三条件や無財の七施は「眼施」「和眼施」「言辞施」「身施」「心施」「牀座施」「房舎施」布施の心得はとても興味深かった。私たちの日頃の行動に生かすことで心穏やかな支援ができるのではと思った。

基調講演は、高知県出身の直木賞作家、山本一力氏の「出番に備えよ」という話。幼少期、高知で過ごされたことを話してくださった。小学生時代の旧友との交流で蛍橋付近での夏祭の出来事、情況も含めてお話をしていただいた、蛍の生態についてめっぽう詳しい少年の話で、自分の知り得ない情報をたくさん持っていてその子といると安心して遊びに没頭できたという、心温まる話で、自分の小学生時代と重なってうなずきながら聞き入った。山本氏の著書を2冊購入しサインをいただいた。(あかね雲はもちろん)

今回の高知大会では第三分科会で河原雄一さん、第4分科会の阪口光男さん、第6分科会高山和彦さんなど日頃からお世話になっている方が講師として話をされていた。(内容については「さぽーと」12月号参照)

今回一番うれしかったことは鼎談で登壇された岡田喜篤先生とお話しできたことだ、何回かお電話はしたことがあったが、写真まで一緒に撮っていた

だきとてもうれしかった。

強力な助っ人

今年の春、清掃ボランティアをしたいのだが、お宅の施設では必要ありませんかと問い合わせがあった。年齢をうかがうと驚きの76歳の方で旭区にお住まいの方である。環境整備は気にはなるが、お世辞にもきれいな事業所ではない。お願いしたのはやまやまだが、年齢のことを考えるとお願いできませんというと、とても熱心に環境整備について今までご自身が携わってこられた仕事の内容について語られた。お断りするのも失礼だったので週2日間、午前中3時間来てもらうことになった。

光風会の建物周りの清掃をお願いした。清掃用具もないので、ご希望をうかがい全部そろえることにした。門から入る長いアプローチの花壇周辺の雑草、駐車場の周りの落ち葉等、広範囲にわたる。3月からボランティアをお願いしたが、あっとIMG_2676いう間に事業所全体がきれいになってきた、最初2日間だけとお願いしていたが、どうしても綺麗にしたいから週3日にしてくださいと申し入れがあり4月からは週3日に変更している。つつじなどの植栽の剪定、植え替え、擁壁の苔まで丁寧に取り除き、側溝の泥までさらっていただいている。仕事が丁寧すぎるほどである。

今年の夏は35度を超える猛暑日が続いたが一日も休まず、それどころか毎日7時30分過ぎには清掃を始めていただいている。8月後半からは天候不順で雨の日が多いが合羽を着て黙々と掃除をされている。

光風会のボランティアの謝金は1回500円である。旭区から2系統のバスを乗り継いで来ていただいているのでバス代にもならない金額である。この方が言われるのは、汗を流して掃除して、終わってからの一杯が実においしい、その楽しみのためにやっているから、ぜひ続けさせてくださいと懇願されている。

いやーそれにしてもパワフルな高齢の方がいたものだと感心する。Oさんに負けないよう自分も頑張ろうと思っている。職員も見習って事業所を綺麗にしてもらいたいものだ。

箱根に行こう

大涌谷周辺の火山活動が活発化したことに伴い、噴火警戒レベルが3になり、観光客が大幅に減少しているというニュースが流れる。「大涌谷」という箱根の一部分の立ち入り規制で箱根全体に客足が遠のいているという。

7月13日、神奈川県知的障害施設団体連合会の災害対策委員会が開催された。委員の一人、南足柄市の足柄緑の会福岡氏の話によると、箱根に近いために、法人事業所の防災対策も必要とのことである。

7月27日の日本経済新聞に噴火警戒レベル3に引き 上げ1ヶ月となるが、高齢者や子供らの避難支援に不安の声が上がっているとの記事が掲載されている。仙石原地区の有料老人ホームや強羅地区の学校法人(小中高生370人)が防災対策を進めている。

箱根全体の観光客が落ち込んでいるので、どのような状況なのか、この目で見てみたいと思い行ってきました。小田元箱根港原から箱根フリーパスを使い箱根湯本へ。いつもだとごった返しているイメージだが、人が少ないと感じる。バス乗り場もまばらで、新道経由で元箱根港行きのバスも余裕で座ることができた。芦ノ湖周辺の車の往来も少なく、駐車場も空いている。土産物屋さんで昼食をとったが大きな食堂に係わらず私たちだけだった。元箱根港から海賊船に乗船する、中国人観光客や欧米人観光客でにぎわっていたが、船内の椅子席は余裕があった。桃源台へ向かう、湖面は静かで前方に富士山が顔をのぞかせている。桃源台に到着し下船が始まり桃源台駅に向かう。中国人観光客は貸し切りバスで次の観光地向かう、桃源台駅は個人客のみで閑散としている、箱根ロープウェイの乗り場では係員が運航中止を呼びかけている。桃源台から強羅までの代行バスに乗るが3組の欧米人の観光客だけだった。仙石原を経由してポーラ美術館を通る、若干、硫黄くさい気がする。

強羅駅に到着、観光客でにぎわっていたが混雑しているほどではなかった。前から行ってみたかった、強羅公園の箱根クラフトハウスでトンボ玉つくりの体験をした。いつもなら、なかなか予約が取れないが今回はスムーズに予約ができて作成まで2時間くらいで完成することができた。
トンボ玉

強羅駅からフリーパス券で箱根湿生花園まで。食虫植物展が開催されていたのでウツボカズラを見ることができた。大平台の旅籠で源泉かけ流しの温泉につかり、日頃の疲れをいやす。

翌日は、登山鉄道で箱根湯本駅まで下る、湯本駅から5分の北原おもちゃミュージアムでおもちゃを見る。湯本駅から小田原まで戻り、小田原城址公園で小田原ちょうちん祭りがおこなわれていたのでちょっとだけだが見てきた、小田原城は改修工事中で中には入れなかったが外から眺めてもとても雄大であった。小田急小田原駅で小田急グループが開催している2015 Summer Odakyu Hakone Stanmp Rally で配布しているドラえもんのクリアファイルをいただき、帰路についた。大涌谷の火山活動に注意は必要だと思うが、安全確認された部分には足を延ばしても大丈夫ではないだろうか。みんなで箱根にいこう!

人権研修

7月22日、保土ヶ谷区自立支援協議会主催の地域支え合い研修が実施された。加入事業所の職員の皆さんが対象である。(参加者60名超)
研修依頼があったのは5月頃で神奈川県民間知的障害施設協同会発行の支援者のための「利用者虐待防止ハンドブック」を発行したのでそれを皆さんに披露するというのが目的であった。日頃、最前線で利用者のみなさんと接している皆さんに少しでも役立てていただければと思っています。
しかしながら、6月に山口県下関市で発生した障害者事業所での虐待事件は社会に大きな衝撃を与えました。繰り返し暴力場面がテレビから流れ、ネットではユーチューブでいつでも見れる状態、ワイドショーでも取り上げられ、施設というところはどこでもこのようなことをしているのではないかと疑いの目で見られるようになりました。
また、7月には横浜市内の事業所で性的虐待の事件が報道され、同じ自立支援協議会の
会員施設での事件であり衝撃が走ると同時に、虐待の根絶の難しさを感じました。
人権研修では何を話すか、時代の移り変わりや障害者施策の変遷、昭和から平成にかけて人権や権利擁護はどのように変わってきたのだろうか、自分の経験から話すことで、人権問題を考えてみようと思った。自分はどのような支援者を目指したのか、また施設や事業所ではどのようなことが必要か、施設長として自分はどのようなことを職員に求めているのか、社会人として必要とされる資質とは何か考えてみる。
私としては宮澤賢治の「雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ」の生き方が理想である。

健康管理

先月、のばら園の女性利用者(51)の方が突然倒れ意識喪失があった、脳出血や脳梗塞など考えられるため現状保持したうえで救急対応が必要と判断し救急車要請。救急車で搬送病院を決める待機中に利用者の方の意識も回復し(20分程度)、普段と同じような状態に戻った。救急対応をどうしようか迷ったが、支援者の観察から普段に比べて「左手足の動きが悪い気がする(手足の硬縮があり身障4級を所持)」ということもあり、近くの脳神経外科病院に搬送された。診断の結果、頭部「右被殻出血」、直径11~12センチの脳出血があり緊急入院となった。若干の麻痺は残ったが、翌日には退院され施設での生活を継続されている。的確な判断は日頃の観察が重要だということを思い知らされた出来事であった。
障害者の支援事業所にとって、日々の健康管理は欠かせない、事業所ごとの看護師配置は悲願であり、ハローワークやホームページ等で看護師募集をしていた。なかなか応募者がない状況であったが、久々に数名の応募があった。
障害者総合支援法施行後、福祉の考え方は多様になってきており、法人を利用される障害児者の方全員の健康にCIMG0741関する支援を行うことが求められるようになってきました。
現状の、のばら園担当、すみれ園担当看護師は維持しつつ、今まで配置していなかった工房ごんた村やグループホームの利用者の健康管理をしたいと思っている。法人としては光風会看護師チームで一元的に運営したいが、現状では難しいため当座は事業所配置で様子を見たい。看護師に法人の考えを伝えどのように運営していくか話し合いを持った、田松看護師から「私たちは病院ではなく生活施設で障害者の方を支えているということを忘れず、寄り添っていけるような仕事をしたい」という話があった。
新しい看護師さんを迎え、法人一体となって利用者の健康管理はもちろん安心・安全な生活を見守っていきたいと考えています。

たまや~

土曜日は各地の小学校で運動会が開催された。ホーム前の権太坂小学校の運動会も開催された。

晴天に恵まれ暑い日差しの中で行われた。すみれ園の子供たちも元気に参加し一日を満喫したとのこと。
6月1日、月曜日は運動会の代休、6月2日は横浜市の開港記念日で市立の学校はお休みとなり、3連休となった。
6月2日、「のばらホーム」の泊まり勤務である。いつものように権太坂小学校の坂を上っていくと、IMG_2469(花火)部活帰りの高校生の集団と鉢合わせをする。ホームの前に行くと高校生がたむろしていて玄関に入れないくらいである。

不思議に思いながらホームに入ると、開港記念日で今日は花火大会があるらしいとのこと。
「のばらホーム」はランドマークタワーが見渡せる場所にあるので、絶好の花火ポイントらしい。うす暗くなりかけた19時30分頃から外がにぎやかになってきた。権太坂小学校前の道路は高校生でいっぱいになっていたので、職員の機転で、「のばらホーム」の庭も解放したところ、多くの高校生が庭に入ってきてくれた。ホームの利用者も色めき立って、早速、庭に出て花火鑑賞、打ち上げ音は聞こえてこないが高校生の歓声が聞こえてくる。
花火を見るという共通の目的があることで、普段一緒になることはない高校生と同じ場所で、同じ時間を共有できることは素晴らしいことである。障害者理解を深めたいと努力している身にとっては、何の違和感もなく、打ち上げられる花火に歓声を上げる姿はとてもまぶしく、地域で生活する素晴らしさを実感した夜のひと時であった。
「のばらホーム」の前の道路は、権太坂小学校、保土ヶ谷特別支援学校、光陵高校の児童・生徒の通学路である、この道すがらにある建物が、障害者が住んでいる「グループホーム」だと認識してもらえたのは得した気分になった。

1枚の写真から

先日、「神奈川県立三浦しらとり園」の創立50年史の記念誌をいただいた。
50年史のページをめくっていると1枚の写真が目に飛び込んできた。神奈川県立長沢学園時代の小川譲三園長と一緒の写真、40年ほど前の児童施設のソフトボール大会後の写真である。このような写真がよく残っていたなと感慨にふけった。当時は、運動会のお手伝い、ベルマークの整理、三浦臨海ホームでの海水浴のお手伝いなど多岐にわたっていた。鎌倉の「小さき花の園」ではクリーニング作業を担った。私の福祉人生の出発点でもあり感慨深いものがある。

横須賀で会社勤めをしていた頃、市の青少年課が企画した「ボランティア教室」に申し込んだのがきっかけである。「小さき花の園」の職員であった飯野さん、県職員の成瀬さんなど、県内の施設関係者が講師として名を連ねており、ボランティア教室の体験実習で障害者施設に伺ったのがきっかけである。
ボランティア活動を続けていたが、オイルショックの時代で「重厚長大産業」が敬遠され「軽薄短小のサービス業」に少しずつ移行する時代だった。希望退職を募っていたこともあり退職。まさか福祉の施設に勤めるとは夢にも思っていなかった。

縁あって横浜市保土ケ谷区にある恵和学園の門をたたいた、前田直蔵園長から「働いてみなさい」と言葉をかけていただいた。「のんき・こんき・げんき」三つの「き」を大切のしなさいという言葉が印象的だった。
福祉の資格がなかったので、神奈川県社協の社会福祉主事講習の受講させていただき、仲村優一氏や阿部志郎氏の講義を聞くことができた。その後も神奈川県施設協会の従事者会や主任会・部課長会などいろいろなことを経験させていただいた。

三浦しらとり園の50年史がいろいろなことを思い起こさせてくれた、異業種から福祉の世界に入り、40年近くが経過し、人のつながりの素晴らしさを実感している。

はまのつぶやき 4月27日

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        のばらホームから見た朝日

 

 

3月23日、法人初めての常勤職員によるグループホームの運用が始まった。男性5名、女性5名のいわゆる2戸一ホームである。
平成30年問題といわれる、児童福祉法に改正による、児童入所施設の18歳超過児を認めないところによる対応策の一環。児童入所施設を抱える当法人にとっては大変な問題である。経過措置があるにしても、平成30年3月までに解消するには大変な努力がいる、一法人で解決できる問題ではない。とはいっても指をこまねいているわけにはいかず、中期計画に基づき、開所したものだ。
3月の開所は時期的には大変であり、新任職員を充てるわけにはいかず、誰かがやらなければならない、のばら園の職員が運営にかかわるので、本体の業務をおろそかにするわけにもいかず、勤務に入れる職員には数に限りがある。女性は夜勤を含めて数人の職員でチームを組んで行えるが。男性は夜勤帯に入れる職員がどうしても足りないということで、施設長に白羽の矢が立ち、新任職員が落ち着くまで夜勤に入ることになった。
当初はそれほどの勤務はないだろうとたかをくくっていたところ、出された勤務表には正直驚いてしまった。まあ、それはありかなと夜勤業務にはいっている。
のばらホーム1は男性5名定員のところ、まず、すみれ園卒園者3名入の入所からはじまった。7月までこの状態で運用し8月以降本格稼働の予定である。
25年ほど前、グループホームの支援者として5年ほど勤務した経験があるので、すみれ園卒園者3名との生活に胸躍るものがあった。利用者とは面識はあるが直接支援現場に入ったことがないので、支援者としては初対面な人たちである。最初はぎこちなく、相手との距離を少しずつ縮めていく。2~3日もたてば打ち解け一緒に生活する仲間である。
一緒にご飯を食べ風呂に入ることで信頼関係は醸造されていく。利用される方のプロフィールを見て、支援のポイントを探りその人に合った支援をしていく、口で言うのは簡単だがそれはそれでなかなか難しい、時には感情的になることもある。
そこで役立つのが食事である、夕食は宅配業者からの材料提供で賄われるが、朝食は支援者に任されているので、腕の見せ所である。利用者のみなさんのリクエストにも応じながら、冷蔵庫の中身と相談しながらつくっていく。ありあわせで作っても利用者さんはおいしいおいしいと食べてくれる。
4月のとある日は、学園内の竹林からたけのこを掘ってきて、ゆでて朝食にたけのこご飯を提供したところすこぶる好評であった。施設長として直接現場に入ることはそうあるものでなないのでこの時間を大切にしていきたい。

はまのつぶやき 2015/4/1

「この子らを世の光に」

今年も新人職員を迎えた。
気の利いた言葉を贈りたいと思うが、なかなか浮かぶものでもない。
その中で、福祉を志す私たちのバイブルといわれているものがある。
「この子らを世の光に」にという糸賀一雄先生の言葉である。
「この子らに世の光を」ではなく、「この子らを世の光に」にして憐みではなく畏敬の念を持って接し大切に育てようということでしょうか。

糸賀一雄の最後の講義~愛と共感の教育~(中川書店)は、亡くなる前日の講義をテープ起こしした本である。
中身を紹介してみる。

『目の前にいる人を豊かで深みのある理解をするためには枠付けした見方をするのではなく、
そのような気持ちからまず自らが解放されなければならない』と指摘している。

そして『自分自身との対決のないところの職員なんてのは、これはカスみたいなもんであります。
ね、どこかの人形でも雇ってきておけばいいわけです』と厳しく問いかけている。

『現場というのは教育だとか施設だとかの現場というのは、児童福祉一般、基本的人権なんてことをあんまりガツガツ言うとるんじゃございませんですよ。
それより今あなたがおしゃったように、あの子、この子という子どもがかわいくなるんですよ。

一人ひとりと向きあい、共感しかわいいと思う気持ちや、社会への怒りから行動が生まれ、
それを積みかさねる先に、教育愛や人間的な愛情が昇華されてされていく』と語りかける。

『私はいま、理屈を言っているんです』と前置きして、『みなさんとともに、その理屈が理屈ではなく自分の本当の心の動きにまで、
何年かかってもいいではありませんか。もう、その道行というものは、目標というものははっきりしているんだから、何年かかってもいいから、
あわてず急がず、本当にわが心の中に愛を育てていきたいと思います。
愛というものは育つものです。
愛がもともとあるから育つものです』と私たちに呼びかけています。

これは、日本知的障害者福祉協会機関紙「さぽーと」誌2010年5月号「ライブラリー」に掲載されている、
阪口光男編集出版企画委員の書評をそのままですが、新人職員のみなさんにぴったりだと思いましたので拝借しました。

糸賀一雄先生は光風会の前身である、光風園の昭和28年開設でお世話になり、看板も直筆で残されています。
また、近江学園時代に作陶された湯呑も贈られています。

とても身近に感じられる方です。
糸賀一雄生誕100年を記念していろいろな本が出版されています。
読んでみてはいかがでしょうか。

はまのつぶやき

はまのつぶやき

3月12日、朝6時30分頃、のばら園の支援部長より電話連絡があった。入院中のYさんが危篤とのこと、出勤間際だったので、とりあえず園に向う。職員に事情を聴き、すぐに入院先の病院にむかう。7時30分頃病室に到着したがすでに亡くなっていた。

今にも「おう!」と声をかけてきそうな穏やかな顔だった。しばらく病室の中でYさんの顔を眺めていた。当事業所の最年長で75歳だった。突然、天に召されるとは・・・・。何事にも待てない性分だったので、てきぱきとことをすすめ、周りに迷惑をかけないで逝かれたのは、Yさん流の流儀だったのかもしれない。

障害者支援施設の重度高齢化が進み、看取りをどのように行うか数年前から議論されていたが、平均年齢44歳の当事業所ではまだ大丈夫かなと思っていた矢先のことだった。

まだ救いだったのは、昨年6月に、5人の仲間と宿泊旅行で熱海に行ったこと。私の運転だったのは何かの縁だったのかもしれない。最近、脚光を浴びている駅前の仲見世での買い物、食事。宿泊先はホテルニューアカオで楽しい思い出を作れたことだ。

Yさんのご冥福をお祈り致します。